Earthquake
2011年3月11日、地震があったときは、私は京急蒲田のPiOという展示場に居ました。そこで、製造の展示会があったので、商談をしていました。
強い揺れを感じて、外に出ること2回繰り返し。これはまずいなと思って、静岡に帰るべくJR蒲田に向かう。蒲田駅は、既に電車も止まっていて、乗客で溢れかえっています。電車止まる、寒い、雨、余震、不安。親切な友達のお姉さんが、うちへおいでとTwitterをくれました。涙が出ました。
しかし、その時はせいぜい揺れが大きくて全国の交通が麻痺している位にしか考えてなかった。iPhoneであっても一度に入る情報は少ない。偶然電話が繋がり、コドモ嫁両親親戚全員無事。会社も社員も無事であることを確認。ほっとした。
さて、自分は自転車を買って静岡方面へ向かいながら情報収集をして、途中で退避するということを思い付く。公共の待機所はすぐに一杯になるかもしれないし、自分は動ける。天気は良い。防寒ダウンジャケットを着ていた。iPhoneでナビはOK。条件は揃ってた。
15年前くらいに、池袋から箱根の手前までママチャリで行ったことがあったので、その事を思い出したのです。箱根は多分越えられない。でも小田原までなら何とかなる。もっとも、その時点では面白半分という部分もあったのだが。(あとで友人家族に馬鹿なことを、と叱られた)
国道1号線は、西や東へ徒歩で帰れない人で溢れていました。ベビーカーを押して西へ向かう若いお母さんが目に付きました。途中で自分の親父位のおじさんに道を尋ねられ、一緒にiPhoneで探す。皆、静かに並んで歩きます。自転車が邪魔にならないように気をつけました。
一列に並んで、叫んだり慌てたりする人もおらず、一種の宗教的な行進のようです。神奈川県でも信号が所々消え、警察官が手信号で交通を整理しますが、まったく乱れと言うものが無い。クラクションも一回も聞かない。どこの駅も人だかり。関東圏のJRが終日止まったようだ、と気付いた。
静岡の家族に付近の宿泊施設等の情報収集を頼み、西へ動きます。手元の携帯からだと、関東圏はどこにも連絡が付かない。戸塚の辺りを走行中に、平塚に宿が取れたと連絡があった。そこから約2時間チャリを飛ばして、ホテルに着いたのが0:30。結局8時間くらい自転車の上にいました。
ホテルのロビーで初めてTVを観て愕然とします。ちょっと待ってくれ、なんだこれは。一体何が起きてる。電車が麻痺して、建物がちょっと崩れて、というレベルではないだろう。コトバが無かった。仙台の知人友人が気になる。
次の日、目が覚めて、昨日のTVは夢ではないかと考えたが、現実だった。JRと新幹線は現実的に動いていたので、それに乗って静岡に帰った。
静岡は、ほぼ日常。スーパーの陳列棚の閑散を除いて。しかし、TVでは悲惨なニュース。マンションの地震警報が時々鳴る。今はできる事をするしかない。節電、寄付。あとは何だろう。
つづく
3/11/2011
When the quake occured,I was at Ota city Industreal Plaza of KAMATA,TOKYO for a manufacturer exhibition.
Suddenly strong shaking!
It repeated two times.
Our business discussions was stopped.
Immediately People got out from there,and they were worried about next aftershocks.
I could not use cellphone.
I went to KAMATA station,but trains was already stopped.
I thought that Tokyo’s function would be stopped and I can not go back home,SHIZUOKA.
My friend send me twitter message.”Come on my house, if I had no place to stay tonight.”
I feel best appreciate to her.
Thanks a lot,my sister.
But at that time,I wanted to go back home to check safety of my family.
I thought that huge population can not get back home and some shelter will be full soon.
So I bought bicycle and made some plan.
Going in the direction of SHOZUOKA along ROUTE 1.
Searching information,rooms of hotels or shelters to stay that night.
People were walking quietly.
Just like religious events.
I saw some mother with infants.
Some signals was go down but traffic jam was also calm.
Nobody makes noise and horn and no cry.
…
After 9 hour’s adventure,I found myself at a hotel’s room in HIRATSUKA.
47km far from KAMATA.
Next day,trains were almost recovered.
So I was able to go back home by SHINKANSEN express.
SHIZUOKA had not any damage from this quake.
My family is safe.
So I was relieved about that.
But many Japanese people living in TOHOKU district wounded and died.
And be worried for tomorrow.
And now,I think what I have to do for them.
Power saving,donation,and…?
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